2024年11月22日下午一點,時令進入小雪的台北飄著細雨,在台北車站館前路上一家名為「BLUE」的旅館大廳內,十幾名來自日本與台灣的工作人員,正緊鑼密鼓地準備著待會即將上場的「Dassai Blue」台灣發表會。
我推開門,笑臉迎來的是旭酒造(獺祭/Dassai)第四代掌門人,櫻井一宏(Sakurai, Kazuhiro)。
旭酒造的亮眼成績
根據旭酒造官網(https://www.asahishuzo.ne.jp/news/info/005760.html)公布,2024全年度業績為195億日幣(旭酒造年度結算為9月),創歷史新高,這還不包括美國紐約廠。而扣除燒酎與梅酒,單就日本酒的營業額為187億日幣,其中日本國內為100億,海外約為87億,海外出口佔整體營業額達46%,接近一半。
這個數字不僅已超過日本第二大酒廠「月桂冠」,若單以「特定名稱酒*」營業額計算,甚至超越日本第一大酒廠「白鶴」。而交出這份亮眼成績單的,正是這位全身穿著藍色西裝與領帶的櫻井社長。
- 註:日本酒依精米步合與是否添加蒸餾酒精可粗分為「普通酒」與「特定名稱酒」。
櫻井社長引導我就座後,前去準備一個小時後即將首次發表的獺祭BLUE系列(純米大吟釀50/35/23),而我則打開筆記本,同時回想著旭酒造這30年來如何從鄉間小酒造成為一家全球企業。
從深山走向國際的獺祭
企業管理大師麥可波特曾在 1980 年出版的競爭策略(Porter, Michael E. Competitive Strategy. Free Press. 1980)中提到,企業如要追求競爭優勢(Competitive Advantage),必須在目標市場中就「成本領先策略」(Cost Leadership)、「產品差異化策略」(Differentiation)及「集中策略」(Focus)中擇其一,將企業資源集中來獲得比對手更強的競爭優勢。
面對日本國內不斷衰退的日本酒市場,位於日本山口縣岩國市深山裡的旭酒造(獺祭),當初是如何從一家小酒造,搖身一變聞名全國,甚至大膽地到美國東岸紐約建廠,一步一步建立它的全球化佈局策略?這一切可以從櫻井一宏的父親,目前擔任旭酒造會長的櫻井博志先生說起。
「人口稀少位置偏遠」、「無法就近取得原料米」、「沒有優秀杜氏」。這三點是櫻井博志在許多公開場合演講中提到讓旭酒造轉變與重生的因素。從任何一點來看,都足以令一家酒造結束營業,但在櫻井博志的手上,卻足以應證英國前首相邱吉爾的名言:「不要浪費一場好危機」(Never let a good crisis to to waste)。
因為酒造位於人煙稀少的深山內(附近的小學只有七名學生),就算到岩國市區內,都還有比規模更大的三家酒造,如果要活下來,乾脆一口氣釀造以「東京」為主要市場的酒。
因為酒造產量太小,山口縣內耕作酒米的農家幾乎全出貨到外縣市,無法取得原料的旭酒造乾脆興起了種植酒米的計畫。
櫻井博志接任社長時,外聘的釀酒師(杜氏)經驗不夠,而櫻井博志自己又不懂,釀出來的純米大吟釀不僅沒有香氣,口感也沒有純米大吟釀該有的細緻感。重金聘請的杜氏卻又在這個山裡待不住,讓旭酒造也開始有了要自己培養杜氏的想法。
在櫻井博志的重生計畫中,我們可以看到他非常清楚地選擇了「集中策略」,也就是將全酒造的資源只選擇生產符合來自全日本各地消費者聚集的「東京」市場,並生產單一特定名稱酒「純米大吟釀」。正確的策略,讓旭酒造的競爭優勢得以集中與最大化。讓櫻井博志接班的最初十年間(1984-1994)業績就從 9,700 萬成長 一倍,達到 2 億元的規模。
而在第一個十年選擇「集中策略」後,我們可以看到櫻井博志在第二個十年開始則開始在集中策略的基礎下選擇了差異化策略,藉由導入四季釀造、精米步合二割三分(當時精米最大極限為二割五分)、遠心分離壓榨設備、建造自家精米廠等加大與競爭對手(產品)的差異,訴求釀造最高品質的單一商品(純米大吟釀)。差異化策略成功奏效,讓旭酒造的業績從 2 億元一路在 2016 年首次突破百億規模。
在 2016 年 9 月決算,讓旭酒造擠身百億俱樂部的同時,櫻井博志選擇了交班給櫻井一宏。我們說把東西賣出去叫「推銷」,把東西賣得多叫「促銷」,不推銷還能一直賣叫「行銷」,不促銷反而越賣越貴才是「品牌」。從父親手上接手的櫻井一宏面臨的課題,不單單只是表面上看到的,讓「日本」的獺祭成為「世界」的獺祭,而是要讓獺祭能夠成為真正的「品牌」。
於是我們看到櫻井一宏選擇在日本之窗「銀座」開設了品牌旗艦店,次年則宣告了要在世界之窗「紐約」設立首家海外酒廠。就連2017年山口縣豪雨成災,都能迅速與漫畫「島耕作」推出聯名商品。接二連三的行銷策略不僅讓獺祭在面臨新派日本酒的國內激烈競爭中脫穎而出,更比對手早一步進入世界戰場——「紐約」。
美國版獺祭 Dassai Blue 品飲
回想至此,櫻井社長已將今日發表的三款酒款備齊,並小心翼翼地在讓我品飲前,自己先分別試過一遍,確認酒質在運送過程中沒有缺陷後,才倒入杯中。
Dassai 美國廠位於距離紐約曼哈頓沿著哈德遜河北上約兩小時車程的海德公園鎮(Hyde Park),使用哈德遜河谷流域的水與日本及美國產山田錦做為原料米釀造。
由於此地水質與日本母廠山口縣岩國市的中軟水迥然不同,根據櫻井社長描述,是幾乎與日本名酒產地灘五鄉的宮水硬度相近的中硬度水質,因此在入口時的口感即會很明顯地感受到Dassai BLUE特有的立體感。
以下分別就今日品飲三款酒款,我以日本酒類總合研究所官能評價法做簡單的品飲介紹:
Dassai Blue 50
以日本產山田錦做為原料米,香氣則與日版 45 以蘋果與哈密瓜為主調的香氣不同,多了些許鳳梨樣的熱帶水果調性,但仍在標準的吟釀香系範疇中。口感上酸味的感受強烈,但伴隨而來的甘味與旨味撐住了整體味覺的平衡感,收尾時的些許苦味反而讓整體口感表現得更為立體,收口的尾韻上也相當俐落,沒有殘餘的雜味。
Dassai Blue 35
以日本山田錦稻種於阿肯色州知名的Isbell農場耕作之山田錦為原料,在香氣上可能使用了同母株但不同類型的酵母發酵,散發出以白桃樣為主的淡雅香氣,口感上則明顯能感受到釀酒人希望以甘味與酸味為主軸,相較於50,35更能感受到舌面上旨味的殘留。
Dassai Blue 23
與日本廠使用相同的山田錦、酵母與精米步合。在這款作品中,可以非常明顯感受到水質對於一款酒在口感上的差異。香氣表現上由於水質中礦物質含量的影響,整體調性除了與日版水梨香氣之外,還多了一些花樣與草樣。口感上則令我最為驚艷的是讓旨味不受到甘味與酸味的影響,甚至在高精白酒款中可以說是最為明顯的一款酒。相較於日本軟水釀造的甘味過於膩口,以旨味為主的 Dassai Blue 23 更確立了日本酒在搭餐上的獨特效果與魅力。
與櫻井社長探討旭酒造的經營
在品飲了三款酒款後,我也向櫻井社長提出了幾個問題:
管:為什麼要到海外設廠?為什麼是紐約?以距離跟天候來說,美西是否更適合釀酒?
櫻井:旭酒造的成長策略中,海外市場是極其重要的一環。紐約是全世界種族、文化最多元的地方,也是最能接受外來事物的地方,能見度相對來說也非常高。並且相較於美西,在氣候與降雨條件上相對穩定,因此在幾經評估後,我們選擇了紐約作為我們在海外的第一個生產據點。
管:現在日本酒的新浪潮中可以看到 Craft Sake 的崛起,旭酒造將來是否有釀造 Craft Sake 的計畫?
櫻井:要解決清酒品飲人口下降的問題,破壞式創新是最好的方式。Craft Sake 的興起正是一個最好的例子。就我自己的觀察, Craft Sake 剛進入萌芽期,將來必然會面對許多挑戰,但肯定會往越來越好的方向前進,只是對旭酒造來說,目前專注在生產最高品質的清酒,是我們首要目標,暫時沒有釀造 Craft Sake 的計畫。
管:在海外設置清酒廠,最大的挑戰是什麼?
櫻井:很多人一定會以為是風土氣候條件或是原料。事實上,清酒的釀造是一個極需要團隊合作的工作,這個合作不僅僅是技術上的移轉,更是文化上的融合。我們在紐約廠有十名員工,三名來自日本本社,七名則是當地員工。如何將清酒釀造的精神傳遞到當地員工身上,需要相當長的磨合期。我必須說:「添購先進設備只是減少不必要的勞動力投入,但要釀造出頂級清酒,沒有人,再好的設備都沒用。」
管:台灣是日本酒主要的海外市場之一,旭酒造針對台灣市場將來有無任何計畫或策略?
櫻井:謝謝台灣消費者對獺祭的愛護與支持。現在日本有許多酒造進入到台灣市場,但獺祭事實上每一年都在精益求精,或許有些消費者會認為獺祭的風格已定型,但如果針對不同年份進行垂直品飲會發現,即使是同一款獺祭,我們每一年都會針對香氣與口感做一些調整,並不會滿足於現狀,這是我們對產品的堅持,也是對愛護我們的消費者最大的承諾。
文末,我必須要說,這次的品飲與採訪讓我對旭酒造與獺祭有了不一樣的看法。尤其櫻井社長在與我的對話中也提到,今日獺祭之所以能夠起死回生,並沒有依循著什麼樣特別的企業發展策略,而是伴隨著市場不斷變化,在變化當中為了求生存而不斷求新求變,因此與其說我們是策略家,倒不如說我們是行動派。
清酒釀造在過去是屬於勞力密集的傳統產業,我甚至認為手工清酒在少子化的衝擊下為了生存必將走向工業化生產。但此時的旭酒造卻早已將清酒從產品昇華為日本文化的一環,一如壽司與拉麵在世界各地開疆闢土,開枝散葉,而非限縮在「日本酒」的定義上,這也正印證了松崎晴雄提到的,第四波清酒浪潮的戰場將不限於在日本國內,而旭酒造早已開始厲兵秣馬,準備迎接下一個十年的到來,Dassai Blue正是開始揮軍全球釀造的灘頭堡。
日文版全文
2024年11月22日午後1時、小雪に入った台北は小雨が降っていました。台北駅の前にある「BLUE」という名前のホテルロビーには、日本及び台湾から来た十数名のスタッフが、「Dassai Blue」台湾発表会の準備に大忙しでした。
扉を開けると、笑顔で迎えてくれたのは、旭酒造(獺祭/Dassai)の四代目社長、桜井一宏(さくらい かずひろ)氏でした。旭酒造の公式ウェブサイトによれば(https://www.asahishuzo.ne.jp/news/info/005760.html)、2024年度の業績は195億円(旭酒造の決算は9月)と過去最高を記録しました。この数字にはアメリカ・ニューヨーク工場の売上は含まれていません。焼酎や梅酒を除き、日本酒の売上高だけでも187億円で、そのうち国内市場が100億円、海外市場が87億円。海外輸出は全体売上高の46%を占め、ほぼ半数に達しています。この数字は、日本で二番目に大きい酒造メーカー「月桂冠」を上回り、特定名称酒*の売上高では日本最大の「白鶴」を超える結果となっています。この輝かしい業績を達成したのが、青いスーツとネクタイを身にまとった桜井社長です。
桜井社長が私を席に案内した後、1時間後に初めて発表される「獺祭BLUE」シリーズ(純米大吟醸50/35/23)の準備に向かいました。一方で私はノートを開き、旭酒造がこの30年間、どのようにして地方の小さな酒蔵からグローバル企業へと成長したのかを振り返っていました。
経営学の巨匠マイケル・ポーター氏は、1980年に出版された著書『競争戦略』(Porter, Michael E. Competitive Strategy. Free Press. 1980)において、企業が競争優位性(Competitive Advantage)を追求するには、ターゲット市場において「コストリーダーシップ戦略」(Cost Leadership)、「差別化戦略」(Differentiation)、および「集中戦略」(Focus)のいずれかを選び、企業資源を集中して競合他社を上回る競争優位を得る必要があると述べています。
日本国内で衰退し続ける日本酒市場に直面しながらも、日本山口県岩国市の深い山奥にある旭酒造(獺祭)は、いかにして小さな酒蔵から全国的に有名になり、さらに大胆にもアメリカ東海岸ニューヨークに工場を建設し、一歩ずつグローバル展開を進めてきたのでしょうか。そのすべては、桜井一宏社長の父親であり、現在旭酒造会長を務める桜井博志(さくらい ひろし)氏の話に遡ります。
「単純に山奥の過疎地だったから」「県内で米が手に入らなかったから」「杜氏が優れていなかったから」。この3点は、桜井博志氏が数多くの講演で旭酒造の変革と再生の要因として挙げているものです。一見どれも酒蔵を閉鎖に追い込むに十分な理由に思えますが、桜井博志氏の手にかかれば、まさにイギリスの元首相チャーチルの名言「良い危機を無駄にするな」(Never let a good crisis go to waste)を体現するものとなりました。つまりピンチはチャンスだ。
まず、酒蔵が人里離れた山奥にあったため(周辺の小学校にはわずか7人の生徒しかいないほど)、岩国市内へ出ても規模が大きい酒蔵が3つあり、差別化の余地が限られていました。そこで、いっそのこと「東京」という大都市を主な市場とする酒造りを目指しました。
また、酒蔵の生産量が少ないため、山口県内で栽培される酒米のほとんどが他県に出荷されており、旭酒造は原料を確保できませんでした。そこで、自社で酒米を栽培するプロジェクトを立ち上げました。
桜井博志氏が社長に就任した当初、外部から招いた杜氏(酒造りの責任者)の 経験が十分でなく、桜井氏自身も酒造りに詳しくありませんでした。その結果、 純米大吟醸の香りは乏しく、繊細さに欠けるものでした。旭酒造は自社で杜氏 を育てる構想を始めることになりました。
桜井博志氏の「再生計画」では、日本全国の消費者が集まる「東京」を狙って、単一の特定名称酒「純米大吟醸」を生産するという「集中戦略」が明確に選ばれました。この正しい戦略により、旭酒造の競争優位性が最大化されました。その結果、桜井氏が経営を引き継いだ最初の10年間(1984年〜1994年)で売上高は9,700万円から2億円へと倍増しました。
最初の10年間で「集中戦略」を選択した後、桜井博志氏は2つ目の10年間に入り、「集中戦略」を基盤としながらも「差別化戦略」を採用しました。それは、四季醸造の導入、精米歩合23%(当時の精米の限界は25%でした)、遠心分離圧搾設備の導入、自社精米工場の建設などを通じて競合他社との差別化を図り、最高品質の単一商品(純米大吟醸)を醸造することを目指したのです。この差別化戦略が奏功し、旭酒造の売上は2億円から2016年には初めて100億円の大台を突破しました。
2016年9月の決算で旭酒造が「100億円クラブ」の一員となったと同時に、桜井博志氏は息子の桜井一宏氏に経営を引き継ぎました。私たちは商品を売り出すことを「営業」と呼び、商品を多く売ることを「プロモーション」と呼びますが、「営業せずとも売れ続ける」ことを「マーケティング」と言い、「プロモーションしなくても価格が上がりながら売れる」ことを「ブランド」と呼びます。
父から事業を引き継いだ桜井一宏氏が直面した課題は、「日本の獺祭」を「世界の獺祭」にするという表面的なものだけではなく、獺祭を真の「ブランド」として確立することでした。
そこで桜井一宏氏は、日本の象徴である「銀座」にブランドのフラッグシップをオープンしました。その翌年には、世界の中心である「ニューヨーク」に初の海外酒蔵を設立すると発表しました。2017年の山口県豪雨災害の際には、漫画『島耕作』とのコラボ商品を迅速に発売するなど、次々とマーケティング戦略を打ち出しました。これにより、獺祭は国内の新世代日本酒市場での激しい競争を突破し、競合他社よりも早く世界市場、すなわち「ニューヨーク」へ進出しました。
ここまで思い返すと、桜井社長は本日発表する3種類の酒を用意し終え、試飲の前に自ら慎重に各銘柄をテイスティングして運送中に品質が損なわれていないかを確認しました。Dassaiの米国工場は、ニューヨークのマンハッタンからハドソン川を北へ車で約2時間のハイドパーク(Hyde Park)に位置しており、ハドソンバレー流域の水と、日本産および米国産の山田錦を原料として使用しています。この地の水質は、日本の本社である山口県岩国市の軟水とは大きく異なり、日本酒の名産地である灘五郷の宮水の硬度に近い中硬水であると桜井社長は説明しました。このため、口に含むとDassai BLUE特有の立体感をはっきりと感じることができます。
ここでは、本日試飲した3種類の酒について、日本酒類総合研究所の官能評価法を参考に簡単な試飲ノートをお伝えします:
(一)Dassai Blue 50 日本産の山田錦を原料米として使用。香りは日本版の「45」のリンゴとメロンを基調とした香りとは異なり、少しパイナップルのようなトロピカルなニュアンスを感じます。それでも吟醸香の範囲に収まっています。味わいとしては酸味が特に際立っていますが、それに伴う甘みと旨みが全体のバランスを保っており、フィニッシュのほろ苦さがむしろ全体の味わいを立体的に引き立てています。後味は非常にキレがあり、余計な雑味が残りません。
(二)Dassai Blue 35 アメリカ・アーカンソー州の有名なイスベル農場で栽培された山田錦を原料としています。香りは同じ親株でも異なるタイプの酵母を使用して発酵させたようで、白桃を思わせる上品な香りが漂います。味わいは甘味と酸味を軸にしており、50と比べると、舌の上に残る旨みがよりはっきりと感じられます。
(三)Dassai Blue 23 日本本社で使用される山田錦、酵母、精米歩合と同じ条件で作られています。この作品では水質が酒の味わいに与える違いを非常に明確に感じることができます。香りは水のミネラル分の影響を受け、日本版の梨の香りに加えて花や草のような香りが加わっています。味わいで最も驚かされたのは、甘味や酸味に影響されない旨みの際立ちで、特に高精白酒では際立った特徴です。日本の軟水で醸造された甘味が過剰になりがちな酒と比較して、Dassai Blue 23は旨みを基調とした味わいで、日本酒が食事に合わせやすいという独自の魅力を一層際立たせています。
次に、試飲後に桜井社長に伺ったいくつかの質問を以下に記載します
管:「なぜ海外に工場を設立したのですか?なぜニューヨークを選んだのですか?距離や気候を考慮すると、米西海岸の方が醸造に適しているのではないでしょうか?」
桜井社長:「旭酒造の成長戦略において、海外市場は非常に重要な要素です。ニューヨークは世界で最も多様な人種と文化が集まる場所であり、新しいものを受け入れる度量が非常に大きい場所です。さらに、知名度も非常に高いです。また、米西海岸と比較すると気候や降雨条件が比較的安定しており、さまざまな検討の結果、ニューヨークを海外初の生産拠点に選びました。」
管:「現在の日本酒業界の新しい潮流の中で、クラフトサケの台頭が目立っています。旭酒造は将来的にクラフトサケの醸造を計画しているのでしょうか?」
桜井社長:「日本酒の消費者人口が減少している問題を解決するには、破壊的イノベーションが最善の方法です。クラフト酒の台頭はその最良の例と言えます。私の観察によれば、クラフト酒はまだ発展の初期段階にあり、今後多くの挑戦に直面するでしょうが、間違いなくより良い方向に進むと確信しています。ただし、旭酒造にとって現在の最優先事項は、最高品質の日本酒を生産することに集中することです。そのため、現時点ではクラフト酒の醸造を計画していません。」
管:「海外で日本酒工場を設置するにあたり、最大の課題は何ですか?」
桜井社長:「多くの人が、風土や気候条件、または原材料の確保が最大の課題だと思うでしょう。しかし実際には、日本酒の醸造は非常にチームワークを要する仕事です。このチームワークには技術の移転だけでなく、文化の融合も含まれます。ニューヨーク工場では10名の従業員が働いており、そのうち3名が日本本社から、残り7名は現地のスタッフです。日本酒醸造の精神を現地スタッフにどのように伝えるかは、非常に長い調整期間を必要とします。私はこう言いたいです:『最新設備を導入することは不要な労働力を削減する手段に過ぎません。しかし、最高品質の日本酒を醸造するためには、人材が不可欠です。どれほど優れた設備があっても、人がいなければ何の役にも立ちません。』」
管:「台湾は日本酒の主要な海外市場の1つです。旭酒造は台湾市場に対してどのような計画や戦略を持っていますか?」
桜井社長:「台湾の消費者の皆さんが獺祭を愛してくださり、本当に感謝しています。現在、日本国内の多くの酒造が台湾市場に参入していますが、獺祭は事実として毎年、品質向上に努めています。一部の消費者は獺祭のスタイルが固定化していると感じるかもしれませんが、実は同じ獺祭アイテムであっても毎年香りや味わいにいくつかの調整を加えていることが分かるはずです。現状に満足しないという私たちの姿勢こそが、製品へのこだわりであり、獺祭を支持してくださる消費者の皆様への最大の約束です。」
この記事の締めくくりにあたり、今回の試飲と取材を通じて、旭酒造と獺祭について新たな視点を得たことをお伝えしたいと思います。特に桜井社長は
- 差別化戦略、集中戦略ともに、最初にその計画を立てて進めて行ったのではなく、新しい市場に取り組み、その中で生き残るために進化し、最適化していった結果が差別化と集中を生み出した。
- 社外のマネジメントや長期の戦略構築から始まったわけではなく、社内での行動と、その中でお客さんが求めるもの、獺祭というブランドが前を向いて進んでいくもの、を必死で追いかけた結果今のブランドの形になり、結果的に成功した
と強調されました。つまり、戦略ありきではなく、行動ありき、という点が旭酒造の強みだと解釈されています
日本酒の醸造は、かつて労働集約型の伝統産業に分類されていました。私は手作り日本酒が少子化の影響を受け、生き残りのためには工業化せざるを得ないと考えていました。しかし、現在の旭酒造はすでに日本酒を単なる製品として 捉えるのではなく、日本文化の一環として昇華させています。寿司やラーメン が世界各地で広がり、根付いているように、日本酒も「日本酒」という定義に 縛られずに世界へ羽ばたいています。
これは、松崎晴雄氏が述べたように、第 4 の日本酒ブームの戦場が日本国内に限られないという予測を体現しています。そして、旭酒造はすでに次の 10 年に向けて準備を整えており、「Dassai Blue」はその世界進出の最前線に立つ存 在です。
核稿編輯:郭宜蓁